福田村事件
キネカ大森
話題作だし、森達也は大学生の時に読んだが、決定を後ろ回しにして考え続けることは社会生活の中では難しい(余裕がない)と思い、考え続けることを説くインテリに対して距離を取るきっかけをもらった。水道橋博士を私は政治的に一切評価しないけれど、演技は良かった。けれど、代議士を映画の役者として出すセンスは疑う。序盤言葉が多すぎないかとも思った。コムアイに寂しいから不倫したと言わせるのは言葉にしすぎじゃないか。それも公衆の面前で。性的敗北が暴力の燃料になっているのってどうだろう。性的敗北がなければ暴力に向かないということでは一切ない。松浦、井浦、コムアイどこも人間関係を性で捉えるのは、芸がないように見えてしまう。もちろん人の性的側面は重要なので安売りしないで必殺のテーマで描いていたらもっと切迫して見えるような。性的に満たされていても暴力に向くだろう。この映画は在日朝鮮人、部落差別、軍国主義に向く日本とテーマをいっぱい詰め込んだが、あんまりテーマを詰め込みすぎるとハッシュタグみたいに見えてしまう。それより一つのテーマを探る作品の方がより強い作品になると思う。比較になってしまうが昨年観た東映版「破戒」の方がずっと深く差別を描けていたように思える。
ザ・キラー
キネカ大森
デヴィッド・フィンチャーは映画に見切りをつけて、netflixと専属契約をしていると聞いていたし、編集スピード感もドラマと相性が良さそうなので、あまり自分の方は向いていないのかなと寂しく思っていたが、このB級感をもった楽しい監督とわかると親しみを感じられる。ザ・スミスって映画の世界では10年ぐらい前から流行りまくって今はちょっと落ち着いている印象だが、そこを掘る遅れた感覚もどこか愛せてしまう。
早すぎる、遅すぎる
アテネフランセ
ストローブ=ユイレは批評家なりがやけに語りたがる。もっと意地悪く言えば、批評系の世界では語っておけば頭が良さそうな監督の最強カードのような気がする。なので、ちょっと今まで引いていたが初めて観る。私がこの作品鑑賞を知ったのも廣瀬純が取り上げていたからで、正直あまり楽しめなかった。車でのグルグルと横パン~引き戻し横パンはなんだろう。グルグル回すところで、さっきは居なかったはずの牛かロバが急に出てくるシーンは良いがそんな面白いシーンは大してない。エジプトとエンゲルスの手紙を繋ぐが、全く関心しない。忖度して考えることも可能だろうけど、それだけの忖度を他の凡作でもしてあげれるだろうか。他のつまらない映画はダメだが、「ストローブ=ユイレ」様は忖度するようでは、権威主義に弱すぎる。なにより、こんな映画有難がってては革命できるのか?大衆を惹きつけれるのか?インテリの知識カードゲームに参加しているだけではないか?と思ってしまった。要するにスノビズムを感じてしまった。スノビズムってサロンの中のヒエラルキーを強化するのでは。
俗を嫌う気持ちは分かるが、エリートの世界はもっと身も蓋もない権威主義とネポティズムが蔓延っているのを察してから俗は下品かもしれないが、フェアネスは機能しているのを感じるようになった。
アン・ ラシャシャン
アテネフランセ
上記のような事を考えていた後にこの作品を観たので、意外とストローブ=ユイレも俗っぽいのもできるのかと好感をもった。一緒に行ったストローブ=ユイレマニアの友人曰く、こんなにわかりやすい作品は珍しいとのこと。もう少し見てみようとも思う。
死霊館のシスター呪いの秘密
Tジョイプリンス品川