映画上映会は政党や宗教主導など数多くあるが、 一タイトルの上映会はなかなかあまり多くはない。35年以上自主上映会をしており、未ソフト化上映会でしか観れないタイトルがある。それが「山谷 やられたらやりかえせ」上映会である。 監督2名がヤクザに殺されたというショッキングな情報と、 更に活動家のアジトのような印象の素人の乱で開催されると聞くと 尚更、緊張する。2年ほど前から参加したかった上映会だが、 なかなか情報を掴めないままだった。
開催された素人の乱というスペースはリサイクルショップで、 デモや直接行動の文脈でたびたび名前を聞いていた。 2000年代は再開発反対デモや自転車撤去反対のユニークなデモ を主催していた記憶がある。ネーミングの「素人の乱」 というのも活動家への揶揄として使われる「プロ市民」 という言葉に応対していると私は踏んでいる。また、 韓国人の友人から主催者である松本哉は韓国でも知名度があると聞 いていた。もちろん、 その知名度がどのくらいなのかは私にはわからない。 松本哉氏の韓国での知名度はともかく、素人の乱12号店で開催さ れた。その12号店はイベントスペースになっていて、 上映会と別の部屋でもイベントをしているようだった。参加者は20人程度だった。
最初からショッキングなシーンに始まる。 倒れて息が浅くなっている男性がこの映画監督の佐藤満夫で ある。佐藤は映画撮影中にヤクザに殺され、 山岡強一が後を継ぎ完成されたが、 上映後まもなく山岡もヤクザに殺されてしまう。 この映画のなかではヤクザや警察、 企業との交渉の様子や山谷の寄せ場の様子がそのまま映され る。労働運動の妨害や非合法賭場を開くなどもあったとのこと。 この映画のなかでは、拡声器での労働交渉や、 集会などが描かれるが、その音声がかなり聞きづらい。 どのようにして山谷に来たのかを語るものもいれば、 労災から精神病院に送られたものもいる。以下のリンクに現地詳しい。
この映画のなかでは更に全国の寄せ場の実情についてもレポートす る。 笹島や釜ヶ崎、寿町などだが、1984年当時なので、どこも労働者の推定人数が現在と比べてかなり多い。 日本の経済発展の影にはこういった日雇い労働者がいたということ だろう。 更に撮影当時に閉鎖された炭鉱の筑豊で強制連行された朝鮮人につ いても取り上げる。ここから靖国や皇室への批判と進む。 労働運動から靖国や皇室にテーマが展開していくが 映画が撮影された当時は1984年頃の為、 昭和天皇も生きていて、戦友会もも活発だった。 もちろん朝鮮半島には植民地で日本人だった記憶のある人もいたは ずだ。なんだか、 1980年代の映画を見ているとずいぶん垢抜けた印象を受けるこ ともあるが、一方では戦争経験者がまだまだ生きていた。 映画のなかで「サンキュー」 などの単語が出てくるがプラントの流通やエンジニア建設会社「 山九」のことだろう。 こういった単語はプラント企業に明るくないとわかりずらい。 この映画のなかで暴力団に関わらないように争議団が交渉をする会 社に「三幸建設」という会社がでてくるが、 ググっても現存するかわからない。
その後更にちょっとした打ち上げがあるということでしたので、更にこの上映会の中枢を探るべく、参加致しました。全体で10人ちょっとぐらいかと思われます。ご夫婦でこの上映委員参加している方も見受けられた。「山谷への回廊」という山谷の写真集をお教えいただきました。上映委員会のこみ憲さんに「偽作、ながあきら外伝」をいただきました。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784939139215
また、野戦之月という劇団をやっているともお聞きいたしました。https://yasennotsuki.org/
上映会をやっている方は活発な方が多いなと思いました。また、具体的な党派などがあるのか聞いてみましたが、私の観た限りは本当にこの上映委員会で特定の母体団体があるわけではなさそう。しかし、あくまでも全体についてなので、個人が何らかの党派と結び付いている可能性はあるかと思う。
その後居酒屋での二次会にも参加してみたのだけれど、そこでの会話の詳細は書く気になれないが、電車で少しお話しした際に、仰られていた
「僕たちの世代は「我々」という言葉を使えたけれど、今の君たちは「我々」という言葉を使えない。」
というのがやけに残っている。これに付け加えて
「それでも当時から「我々」という言葉を使うのに無理が無かったわけではない。」
とも仰られていた。大体65歳ぐらいだったので1958年生まれ。我々という言葉を使えなくなってから、30年近く経つ。私は、我々なんて言葉で語ることができるだろうか。難しい。一旦我々はという言葉を目指したいが、我々という言葉から排除されるのは誰だろうと考えてしまうのが、更に難しい。「我々」はまず、「私」という言葉から語れるようにならなくてはならない。