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映画ログを中心にしております。映画館での鑑賞が中心です。旧作より新作が過半数を超えるのが方針としてます。

生誕110年記念 映画監督・中村登 女性賛歌の映画たち全作

 神保町シアターで嬉しい特集上映が開催される。「生誕110年記念 映画監督・中村登 女性賛歌の映画たち」を知った時から、この特集は全て観るつもりでいた。そんな気合いが入っている理由としては恐らく2021年のシネマヴェーラ新珠三千代特集で「惜春」を観て色使いとメロドラマに感動して今後は中村登の作品を見逃せないと決心した。「惜春」では衣装に鳥居ユキyuki toriiが入っていることを記録しておきたい。そこで今回の特集に通いすべての上映作品を記しておく。


(日本映画史でのマッピング
 そもそも日本映画史での位置づけを観てみよう。以下「日本映画作品大事典」から抜粋。
中村登1913-81(大正2-昭和56)
東京・下谷生れ。3歳の時、歌舞伎の台本作者だった父が死去し。母の再婚先の清元崇の家に育つ。東京帝国大学文学部を卒業した1936年、新設された松竹大船撮影所に入社。助監督として島津保次郎吉村公三郎らに就く。41年、文化映画「生活とリズム」の後、「結婚の理想」で劇映画を初監督する。戦後、その端正な演出が会社に認められ、幾多の文芸大作映画を手掛ける。撮影の成島東一郎、編集の浦岡敬一、脚本の権藤利英、音楽の武満徹らと組み、頂点となる作品を次々生み出す。撮影現場ではそのエネルギッシュぶりから牛若丸とあだ名され愛され、スタッフ、キャストの職能を最大限に活用する聡明さに特徴がある。初の日中合作映画「未完の対局」(佐藤純彌、82)の準備中に闘病生活に入った後、死去。

これだけでは不十分なので更に文献に当たってみよう。以下「日本映画テレビ監督全集」(1988、541p)

中村 登
 1913年8月4日、東京下谷上根岸に生まれる。幼い頃から浅草六区の映画街に出入りし、36年東大英文学学科卒業と同時に助監督試験を受けて松竹に入社、大船撮影所で斎藤寅次郎島津保次郎らにつく。当時吉村公三郎渋谷実、原研吉、大庭秀雄らが相ついで監督に昇進したあとであったが、斉藤(原文ママ)、島津らのベテラン監督が東宝に転出し、小津安二郎の応召などもあって、41年監督に昇進、文化映画一本ののち劇映画の監督となる。戦後池田忠雄との共同監督で急拠(原文ママ)仕上げた「お光の縁談」が比較的好評で、以来平均的な松竹現代劇の製作をつづける。演出スタイルはこれといった個性がなく、力作には乏しいが、つねに水準以上のしごとはしている。三島由起夫(原文ママ)原作によるカラー初期「夏子の冒険」は色彩の生かしかたに工夫が認められ、岡本綺堂作の「修善寺物語」を坂東葦助(三津五郎)の主演で映画化したのも注目された。以後原作に恵まれ、舟橋聖一の「白い魔魚」永井荷風の「つゆのあとさき」、井伏鱒二の「集金旅行」、丹羽文雄の「日々の背信」などに取組むが原作を生かしきれなかった。このなかでは「集金旅行」が軽妙な味をだし以後シリーズ化される。63年川端康成原作の「古都」を発表、岩下志麻の二役で双生児を登場させる物語のユニークさと京都の季節ごとの美しさを織り合わせて秀作とした。曽野綾子原作の「二十一才の父」も佳作だが、66年有吉佐和子の大河小説を映画化した「紀ノ川」は司葉子から明治、大正、昭和に生まれた女として力演をさひきだし、ようやくヴェテラン監督の風格をみせた。その後「惜春」「智恵子抄」など佳作を重ねたが、その後は晩年を飾る企画に恵まれなかった。81年5月20日死去。(登川登川直樹



1988年の出版物でも誤字が目立つというのが、まず印象だが、「個性がなく、力作に乏しい」という評価は悲しい。けれど「つねに水準以上」というのは頷ける。

更に日本映画評論の指標であるキネマ旬報の年間ベストで確認すると1966年に「紀ノ川」で3位、1967年に「智恵子抄」が6位なので監督生活20年を越して来たタイミングで評価が高くなったともいえる。 

 

(雑誌特集記事)
国立映画アーカイブで雑誌記事をコピーして調べた。キネマ旬報はつくづく長寿雑誌だと感心させられる。

 

キネマ旬報815号1981年7月上旬号 「追悼中村登吉村公三郎、成島東一郎2P
ちなみにこの号では追悼特集として、川喜多長政も取り上げられているが4p割かれている。分量自体がが雑誌の評価を示しているとも考えられる。同じく島津保次郎の助監督を務めた吉村は、中村の家系、環境を記す。実父は榎本虎彦という狂言作家だが、登が生まれてすぐに亡くなってしまい、歌舞伎材の大谷社長は芝居茶屋の経営を登の母に手伝わせ、三味線弾きの青年と結婚したようである。また、成島東一郎は「古都」撮影現場で岩下志麻の夕立のシーンの後に濡れた衣装のまま製作・助監督がフォローしておらず待たせていた際に中村が激怒した思い出を記す。

 

キネマ旬報1355号2002年5月上旬号 「女性映画の名匠 中村登の世界」野村正昭 3p
2002年当時は三百人劇場というシアターで(私は初めて知った)中村登の作品が42本が一挙上映されたそうで、そのタイミングに合わせた特集記事のようである。筆者は高校時代に試写で中村本人の晩年に出会った時の思い出から始まるが三軒茶屋ams(これまた知らない映画館である)の96年2月開催特集上映で魅力に気付いたとのこと。三百人劇場では「いたづら」(1959年)、「いろはにほへと」(1960年)などの神保町シアターの今回の特集では組み込まれなかった作品がおすすめとのこと。




今回の神保町シアターの特集で観た作品を記録しておきます。


智恵子抄(1967)
丹波哲郎の演技が堅いがそこが映画の文芸的格調に繋がっているような気がする。最近見た「死の棘」と似た「妻が精神病になった映画」でしたが、「死の棘」のストイックな芸術を目指す態度というよりは出会って死ぬまでを描く大河ドラマ感が気持ち良い。色使いが心地よいのは、やはり中村登の映画の特徴か。画家でもある妻を演じるのが、岩下志麻なのだが、岩下志麻の精神病患者の演技はそこまで珍しくないが、あっさりした表情になっていく。決定的なシーンとして、夫を馬乗りして「走れー光太朗!」といい出す。この夫婦が風呂場で桶を叩いて決定的に共鳴していく演出と石立鉄男演じるタロウが自らの元を去った女性に向けて一斗缶を叩いて探すエピソードが美しい。智恵子抄」 | L'important c'est d'aimer


春を待つ人々(1959)
父の選挙ボランティアを機に家族が集まるホームドラマ佐田啓二の関西弁が心地よい。撮影が小津安二郎組の印象が強い厚田雄春(ゆうはる)。伊藤雄之助が画家仲間としてチョイ役で出てくるのが嬉しい。愛人妾問題が浮き上がってくるが、そこをキレイにいなしていくストーリーがキレイだが、キレイすぎやしないか。それにしても選挙に負けた佐分利信に対して取り巻きの当選できない候補者は用無しであるという冷たい態度への目線が鋭い。

鏡の中の裸像(1963)
和子を演じる桑野みゆきがだいぶ可愛い。美容師の女性3人の分岐を見つめる。チンピラ役の田中邦衛のボーダーのシャツがとにかくカッコいい。下宿先の青年から見ると都合の良い手のひら返しに苛立つが、本性なんて本当にトラブルが起きないと分からないのかもしれない。川津祐介演じるヒモ男もしょうもない。神山繁の頭皮の薄い臑齧りの息子も憎くて良い。また、山本圭が足が不自由で世を斜に見る青年をここでも演じている。

爽春(1968)
岩下志麻が嫁に行かず、父親と二人暮らしだが、実をいうと彼のロンドン駐在に際して別れた元彼と不倫関係にある。友達の女子大生のバイト先工面をしてあげる、その女子高生とは家族ぐるみの付き合いがある。ラストの方では父親同士が喧嘩をしてしまうが、そこでたまたま、夫婦交換をして仲直りをする。森光子が素晴らしい。あんな不倫関係を解消させるには、娘をそれなりに遊ぶ環境に置くしかなく、それを考えるとバーで仕事をするのはソリューションとして秀逸に思えてくる。終演後におじさんが、「長崎旅行にサラリーマンがつきまとうところで(ストーリーが)崩壊した」と言っていましたが、彼はアフリカ出張から帰ってきて長期休暇を取るように会社から言われていたので、一応は筋が通っているが、そう思ったのなら一観客の評価とさせていただきます。更に「そんなんだから他の劇場で掛かってるのを観たことない」との評価でした。


明日への盛装(1959)
冒頭から明仁・美智子が恋愛結婚であるニュース映像から入る。モノローグを多用しているのも珍しい。実際は恋愛結婚と言っても日清製粉の令嬢なので平民とは言えないが。とにかく面白い学習院コメディ。飲み屋で学習院卒の人からこんな名家がいたという話は聞いたことがある。美容院の娘である岡本チカ子(高千穂ひづる)がこっそり学習院がモデルの修学院という宮様系大学に入る。登場人物は左官の娘で社会運動をしている夏目純子(芳村真理)、正真正銘のお嬢で盗癖のある公子(中圭子)、メンズは大木実演じるいかにも根性の無さそうなぼっちゃまの多助、本当にホテル王の息子だけれど、どこか泥臭い雰囲気もある伍堂(杉浦直樹)、そしてたまたま汽車に乗り合わせた高倉明夫(石濱朗)。撮影で速いパンを使うのが中村登には珍しく思える。チカ子が家柄を調査されていることを知った時の失望でカメラが斜めになる表現が面白い。チカ子は元から愛がどうのとかより、ぼっちゃまを見つけるのを目的にしている。この映画自体が男を見る目とはなんなのかというテーマを描いているのが面白い。確かに女性は男性をどのような評価軸で見るのだろう。


恋人(1960)
タイトルが直球だが、受験を機に信州から出てきた4人組が先輩の医者の自宅に下宿して、桑野みゆきと出会う。主人公の山本豊三は「惜春鳥」ではゲイ役を演じていた。眉毛が太いがどこか柔らかい印象を受ける。桑野の兄を怪我させてしまい関係が微妙になるが、兄が山本の判断は間違っていなかったことを主張して仲直りする。桑野のファッションはいつも良いがこれでも素晴らしい。


紀ノ川(1966)
冒頭の成島東一郎によるクールだがずっしりした川の撮影と、武満徹ハンス・ジマーヨハン・ヨハンソンのテクスチャー系を先取りしたような音楽が最高に良い。冒頭の嫁川下りから興奮する。内容としては、土着×家系なので「鬼龍院花子の生涯」を思い出すがこちらの方がずっと上品だ。上品さ故に後追い世代の人が面白がる要素も少ない。字幕で日本社会の出来事もたまにでる太字で「日本共産党結党」と出るので鬼龍院のように娘の岩下志麻が活動家の山本圭と結婚するのかと思ったがそうではない。田村高廣はオーセンティックな男性像だが、丹波哲郎が世をすねた弟。田村の息子が人生に絶望したまま終わるのがなんとも物悲しい。1966年でもこれだけの映画を作れたのかと思うが撮影と音楽、演技どこをとっても素晴らしいが女性三代を渋く描くのであまり若い人向けでないのかもしれない。


わが恋わが歌(1969)

全体から溢れる男性原理的な態度が前時代的である。後釜ものは好きだが、歌人先生が若い後妻に威張り散らしてるのが、リアル過ぎて楽しめない。若かりし頃の緒形拳が私塾の弟子である山口瞳を演じている。



二十一歳の父(1964)
いがみ合っていた親子が理解しあえるかと思いきやとんでもない方向に進んでいく。最終盤の山本圭がある決断をしたと思われる食事シーンは自分の見た食事シーンでベスト級のカメラワーク。演技としても山本圭のベストアクトかもしれない。兄を断罪するでもない山本圭の品が良いがすねた態度も素晴らしい。誰に勧めても良いと言って貰えそうな作品である。

我が家は楽し(1951)
堂々としたファミリードラマだし、イメージとしての松竹大船調ど真ん中な作品。中村登が監督になって十年経ち、この映画で評価されたと聞いたが、それを聞きつけてか満員。役者も山田五十鈴笠智衆高峰秀子佐田啓二と豪華。カメラ、編集、演技すべて素晴らしい。母親が娘に自分の志した芸術を託すというストーリーは娘がグレてしまわないか心配になる。

河口(1961)
名作と名高くタイトルの印象からずっしりした重たい映画かと思いきや、男遍歴ジャンルだった。山村聡の役が不気味で頭が切れる男だ。実際に頭が切れる人はどこか気味が悪かったりする。山村聡が演技のタメや受けで笑わせてしまうのが素晴らしい。

結婚式・結婚式(1963)
川津・山本圭という好きな役者の夢の共演が観られる。山本圭仲代達矢の本俳優座で同期だったが、素でひねくれた人格だったとの証言があるけれど、中村登の映画のウェルメイドな作風とも合う。川津・岩下志麻岡田茉莉子田村高廣、更には国際結婚が出てくる。「わが恋わが歌」でも国際結婚を取り上げていたが、当時は国際結婚が話題だったのか。意外と今の日本映画で国際結婚を描くものはそんなに多くない。単に珍しくもないということか。全体として食卓の会話で引っ張る映画だが、そこのユーモアやギャグ(差別も少々)が今回の特集で一番笑いを取っていた。笠智衆が故人役で写真に出てくるがそこもウケていた。

暖春(1965)
京都在住の岩下志麻が気分を変えるために東京を訪れるが、やはり京都の生活、そして身近な男(長門博之)が良いと思い知り、結婚する。岩下志麻は父親が小さいときに死別しているが、当時の母は3人の男と交際があった為、本当の父は別ではないかと考える。母の交際相手の人物を訪ねるがやはり、自分としては、そもそも自分の父親は死別しているかと思い直す。

日も月も(1969)
緊張感のある冒頭の不穏な音楽からしてワクワクしてくる。岩下志麻の母が出ていき、父と暮らしていたが、父が死亡して、母親とその彼氏と生活を始める。一瞬だけ回想が出てくる。編集で引っ掛けを作ろうと思ったんだろうが、あまり上手くいっていなようにも思う。

女の橋(1961)

恋多き芸者のあれこれについての映画。田村高廣が狡猾だけれど、ジェントル。田村の後釜として藤山寛美のラブシーンが観られる。愛人の悲しさ、正妻ではない悲しみを描くのが当時の一大ジャンルだったのか。今回の特集でも多い。

夜の片鱗(1964)

照明の鮮やかさやアイデアの豊富さがとんでもない。平幹二朗の若い頃を見掛ける度に誰かに似ていると思っていたが、芸人フルーツポンチの村上だった。
俳優・平幹二朗さん 写真特集:時事ドットコム

村上健志 - Wikipedia
並べて観てもやっぱり似ている。

あの人は私が居なきゃダメなのよという展開の映画では一番残酷でエグい。音の付け方が抜き差しが独特で、救おうとする客と工業地帯で会うときにやけに大きい工業音がする演出も面白い。とあるショッキングなシーンを直接は描写しないが、ゆっくりと時間が流れる。この手のシーンのなかで指折りの嫌な時間の流れ方。


土砂降り(1957)
神保町シアター
側妻家庭の物語。親の出自を調査により婚約破棄されてしまった岡田茉莉子佐田啓二だが、岡田茉莉子が神戸でホステスをしていることを聞きつけて、収賄により東京を追われて身を隠す。当時はビールって泡ほぼなしで飲んでたのか。


斑女(1961)
神保町シアター

北海道から義理の弟(旦那の弟)と駆け落ちのようにして出てきた岡田茉莉子がホステスとして、世界の残酷さを学ぶ。オンリー(一人の男の相手をする当時の業界用語?)として杉浦直樹の取引先外国人の相手をしたりする。義理の弟がモリッシーみたいな顔をしている。武満徹作曲谷川俊太郎作詞の以下の「だれかと誰か」が幕前に今回の特集の間ずっと流れていたが、この映画のテーマソングだった。

 

曽野綾子原作。桑野みゆきが田舎に帰ろうと思ったところ、ヒョンな事から合唱バーの店主になる。そこでのバイトリーダーが田村正和だが、胃ガンになってしまう。少し理屈っぽさが前面に出てしまっている。キリスト教に救われるのは、曾野綾子の実存の反映か。

 

辻が花(1972)
岩下志麻がフランスに行った大学教授の夫と離婚するが、親戚の佐野守と距離が近づき決定的な接触をするのだが、佐野は岩下の8歳年下なので世間体として結婚するのは難しいという壁にぶち当たる。設定としては32歳と24歳なので離れているがない話でもない。佐野は堅気の仕事をやっているようだし安牌な男に思えるが、相手を詰める幼稚な言動が多いのが気になる。寺でグイグイ詰め寄るのを観ているとまだまだおこちゃまに見えてしまう。佐野守は佐野周二の息子らしい。
 
以上中村登特集の全作品である。この特集タイトルでも「女性賛歌の映画たち」とあるが、意外と女性がそんなに劇場にいない。あくまでも松竹大船調なのでラディカルな態度というよりは人生の諦観も飲み込むような態度なので、わかりやすく進歩的な人物はあまり多くない。自らの出自を引き受けながら生きていく。観客では恐らく私が一番若かった。全体としてしっとりした作品が多いのであまり若者に注目されないのもわかる。憶測だが公開当時も若い人には向けてないような気がする。さっぱりした作風なので地味に映るがちゃんとバランスの良い作品を作り上げるのは、松竹の職人監督の実力か。私のように後追い世代だとアンバランスなカルト的魅力のある作品か、しっかり評価された名作にどうしても目が向く。しかし、今回の特集すべてを観て、まだまだ中村登の作品を観たいと思えているのだから作品の魅力は確かなので、また機会があれば是非特集をして欲しい。