TはTOKYOのTのブログ

映画ログを中心にしております。映画館での鑑賞が中心です。旧作より新作が過半数を超えるのが方針としてます。

破戒(2022年)/前田和男

前にレビューした共産党結党百年非公式記念の「百年と希望」なんて映画がありましたが、水平社も百年らしい。水平社と共産党がほぼ同い年なのか。丸の内東映で観ましたがやっぱり高齢者が多く、広い劇場で20代、30代はほぼ見当たらない。もっと上映すぐなら若い人もいたのかな。評価は高いが盛り上がっていない印象がある。何しろ水平社百周年記念の作品で部落差別を描く作品のため言及すること自体を恐れるのも分かる。

 

水平社は西日本が中心の組織だが、この破戒は長野県が舞台である。私は原作の島崎藤村の小説であり更に木下惠介が映画化しているがいずれも鑑賞しておりません。私は東京のニュータウンで育ちましたので、部落問題に疎く、地方や関西の方と話しをしていると部落の地理感覚を身に付けている方がたまにいらっしゃる。とはいっても聞いている私はたいして知識がないので、察するというぐらいしかできない。

 


主人公瀬川(間宮祥太朗)が住み込みしている寺に恋敵であり、小学校の同僚であり、政治的意見が対立する(対立というより上に忖度して態度を決めているだけかもしれない)勝野(七瀬公)という男が市民に対して東京の近況について話を聞かせる。東京ではいかに女性の社会進出が進んでいるかを女性に聞かせる。エンパワーメント的啓蒙なのだけれど、主人公は自らが部落出身であることを隠して生きているため、それどころではない、或いは私の感知することではないとでも言いたげな表情で外に出てしまう。社会問題の連帯を呼びかける作品が多いのに、連帯ではなくはっきりと自らの抱えている問題に焦点を絞るのは珍しい。。そこからフォローの意味も含めて様子を見に来るちょっと気がある志保(石井杏奈)とスローモーションで見つめあう。

 

以上の描写である。私はこの描写に強烈なメッセージを受け取った。国政政党であり思想、理論ベースである共産党と自らのルーツの地位向上を目指す水平社、この二つの組織の違いと当事者性に対する見解の違いを見た。社会問題の横展開をする国政政党と、ルーツを忘れるな、我々は部落についての運動体なのだと突っぱねる水平社。この映画の決定的な意思表明に思える。

 

冒頭に旅館で出自が知られて石を投げられ、塩をまかれる部落出身者を石橋蓮司が演じる。この人物は学校で出自を知られてしまい退職した瀬川に甥経由で働き口の世話をすることを買って出る。石橋は自らが金には困っていないという。実業家らしく、革製品加工業をしているとのこと。つまり、彼は実業家としては成功しており、金には困っていないが、差別をされている。石橋から工業化が進めば部落出身者でも社会的成功をすることができることを示しているのかもしれない。石橋のキャラクターからこれからの社会はもっと生きやすくなるかもしれないと観客に感じさせる。